松本城の歴史(年表)

松本城前史

永正1年1504島立右近貞永が深志城を築くと伝えられる
天文19年1550武田晴信が深志城を占領、鍬立てをする

築城〜近世以前

天正10年1582織田に攻められて武田氏退去。機を見て小笠原貞慶が入場し松本城と改名する
天正18年1590豊臣秀吉の世となり、小笠原秀政を古河へ移封。代わって石川数正入封(約8万石)
天正19年1591石川氏築城を始める。この頃古山地(箇山寺)御殿成る
文禄1年1592文禄の役、石川数正・康長親子 名護屋へ出陣。数正没
文禄2年1593康長帰陣し、天守築造に着手する
文禄4年1595宮村町武家屋敷および東町々人屋敷の家作始まる(この頃天守完成か)
慶長5年1600関ヶ原合戦、康長は東軍に属す
慶長18年1613石川康長改易、代って小笠原秀政が飯田から再入封(8万石)
元和1年1615小笠原秀政・忠脩父子 大阪夏の陣で戦死
元和3年1617小笠原忠真 明石に移封、代って戸田康長 高崎から入封(7万石)
寛永10年1633戸田康直 明石へ移封、代って松平直政 越前大野から入封(7万石)
寛永11年1634この頃 月見櫓・辰巳附櫓・八千俵蔵建つ
寛永13年1636松本銭(寛永通宝)の鋳造始まる
寛永15年1638松平直政 松江に移封、代って堀田正盛 川越から入封(10万石のうち7万石)
寛永19年1642堀田正盛 佐倉へ移封、代って水野忠清 三州吉田から入封(7万石)
慶安2年1649領内総検地始まる(終了は1652年)
貞享3年1686加助騒動起こる、首謀者ら28名処刑
享保6年1721城下の初市に塩・飴を売る(飴市の始)
享保7年1722『信府統記』の編纂始まる、完成は1724年
享保10年1725水野忠恒 江戸城内で刃傷事件を起こし改易
享保11年1726戸田光慈 鳥羽から入封(6万石)
享保12年1727本丸御殿炎上
寛保3年1743幕領159村を預る(5万石余)
安永5年1776中町から出火1000軒余を焼く(安永大火)
寛政5年1793藩学崇教館設立
文政8年1825領内四カ庄に農民一揆起きる(赤蓑騒動)
天保12年1841松本藩お家騒動戸田図書事件起きる
元治1年1864水戸浪士と和田峠で戦う
慶応2年1866第2回長州出兵、広島へ進む
慶応4年1868戊辰戦争、東征軍に帰順し北越へ進む

近現代

明治2年1869戸田光則 版籍を奉還し松本藩知事となる
明治4年1871廃藩置県、7月松本県、11月筑摩県となる
城内の門・楼・塀も破却始まる
明治5年1872天守櫓など払い下げとなるが、のち市川量造らの尽力により買い戻される
明治9年1876筑摩県庁舎(旧二の丸御殿)消失
明治34年1901小林有也ら「天守閣保存会」を設立(1903年から修理を始める、完了は1913年)
昭和5年1930本丸と二の丸(一部)が国の史跡に指定される
昭和11年1936天守ほか4棟が国宝に指定される
昭和25年1950天守の「国宝保存工事」が始まる
文化財保護法に基づく史跡に指定される
昭和27年1952文化財保護法に基づく国宝に指定される
昭和30年1955解体復元落成祭を行う
昭和35年1960黒門枡形一の門復興
昭和45年1970東総堀(片端)が史跡に指定される
昭和54年1979二の丸御殿跡の発掘調査と史跡整備が始まる(完成は1985年)
平成2年1990黒門枡形二の門と袖塀復元
平成4年1992太鼓門枡形の石垣積替え完了
平成8年1996史跡松本城太鼓門枡形復元工事起工式を行う
平成11年1999史跡松本城太鼓門枡形復元工事落成式を行う
平成14年2002二の丸土塁発掘調査始まる
平成17年2005解体復元50周年を迎える
平成19年2007西総堀土塁跡(西堀)が史跡に指定される
平成22年2010史跡松本城西総堀土塁跡を整備し公園にする