傾いた城伝説
多田加助を中心に1万人もの農民が、年貢を減らしてほしいと松本に集まってきました。あわてた武士たちは、何とかこれをおさめようと考えました。農民たちの要求をいくつか受け入れ、それを書いた紙を農民たちに示しました。多田加助をはじめ中心となった人たちは、騒ぎを起こした罪ではりつけの刑にされることになりました。
加助がはりつけにされる場所には多くの人びとが集まり、念仏をとなえたり、罪を許してくれと叫んだり、最後にはみなが大声で泣き出しました。「みなのしゅう、わしはみなの年貢が減らされるのだから、安心して死んでいく。さらば。」と、加助が言うと、人びとの中から「残念ながら、約束の書かれた紙は、おぬしが牢屋に入れられた日に役人に取り上げられた。」と教える声があがりました。加助は「2斗5升、2斗5升、2斗5升・・・。」と怒りに満ちた声で叫ぶと、血ばしった目で天守をぐっとにらみつけました。その瞬間、恐ろしい地ひびきとともに天守が西に傾いたのです。
実際に明治30年代に天守の傾きを直す工事をしています。しかしこれは加助がにらんだからではなく、天守台の中の支持柱が腐り、傾いてしまったのです。傾いた城伝説は、明治になってつくられたものです。